2008年5月31日土曜日

情報訂正

昨日の渡辺洪基先生の情報で間違いの部分が多く掲載されております。
申し訳ございません。

訂正版
これは 越前市柳町 養徳寺に掲載されているものです。↓

近代国家のプランナー武生の先覚 渡辺 洪基 先生 顕彰のことば
 渡辺洪基先生は、弘化4(1847)年、越前府中善光寺通り(現越前市・旧武生市京町二丁目)に生れた。福沢諭吉主宰の慶応義塾で英学を修め、明治4(1871)年に岩倉遣欧使節団に随行。イタリア・オーストリア公使館駐在の外交官として活躍。のち第9代東京府知事、帝国大学(現東京大学)初代総長に就任。その後、オーストリア特命全権公使、衆議院議員、貴族院議員等の要職を歴任し、伊藤博文の立憲政友会の創立に参加した。この間、明治20(1887)年に工学院大学の前身である工手学校を設立し、工業技術者の養成に努めた。
 明治34(1901)年、近代日本を支える人材の養成と近代国家の創造という夢を果敢に追い続けた生涯を終え、郷里養徳寺の渡辺家分霊塔に分納された。
 工学院大学学園創立119周年を迎え、ここに案内板を建て、先生の遺徳を顕彰する。
 平成18年10月31日
学校法人 工学院大学社団法人 工学院大学校友会 

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